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深淵の森
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所要時間 約1時間
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by hitoshiameya | 2008-08-31 16:52 | grally
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2007年 7月16日 10時13分23秒

新潟県中越沖地震が起きました。

その数日後、僕はこの土地を訪ねることになりました。(日本徒歩縦断中)


道中にあるアスファルトは脈絡無くヒビ割れ、その上にブルーシートが敷かれています。
普段黒い道路が青くなっていました。

刈羽原発の安全性も確認されていないまま目の前を通り、実体のない不安を抱きながら「バウさん」という、大先輩からの薦めで、一人の男性を訪ねました。


加藤寛明 氏

当時、崩壊した建築物の復旧と同時に、水道・ガス・電気のライフラインがことごとく閉ざされたなか、携帯ガスコンロを被災者に数人の友人と協力して渡していました。

友人の一人が、

「このコンロを発注するときに、10万と100万のゼロの数を間違えてしまって・・・、気がついたら90万の借金をしてしまったのさ」

と、笑って教えてくれました。

その笑顔と裏腹に、世帯数に満たない数の支援物資は、円滑に供給されることがなく、自ら情報を発信し一つ一つ手で配り、複数の世帯で共有することをお願いしてまわります。
その行為を、独断ととる意見もあり、実際に彼らが向合わなければならなかったのは、目の前の変わり果てた現実や景色ではなく、インターネットを通じた、会うことのできない人達の無責任な風評だったのかもしれません。


代表の加藤氏からは、一度も、今も当時の非難のことは聞きません。
それをかばうかのように親しき友人達が静かに語ってくれます。



8月になり、柏崎小学校での支援活動に目途をつけ、自分の旅に戻る道中、新潟と富山の県境付近にあるラーメン屋でのことです。

偶然会った男性から、
「おー! ガスコンロの若いのと知り合いなのか!

この際電気なんて無くたっていいんだ。

水は井戸水があるだろ? 

ガスはどう転がっても手に入らないからな、本当に助かった。
こんな状況になれば、インスタントコーヒー、インスタントラーメンの一杯で一日分の元気がでるもんさ!

おれは3つ無理言ってもらって、近所の家3世帯で一つづつ使うように配ったんだ。
実際取りに来たくても、それどころじゃない人だらけだからな。

たぶん皆よろこんでたと思うぞ!」


まるで自分の子供を自慢するかのように、がっしりとした日に焼けた男性は言います。
そして同じように、自分は配っていないはずのガスコンロが、彼らの活動が、誇りに思える瞬間でした。





ちょうど一年ぶりに、八ヶ岳でのライプペイントの仕事が入り、数日間の余裕をもち新潟港につきました。

フェリーのなか、加藤氏に連絡しました。


熱い想いを見せない、静かな物腰や、まっすぐな目・・・
始めて会ったそのときに、僕は彼が生涯を通じて友人になる、漠然とした予感がありました。
彼も同じように思ってくれていたと聞いたのは一年後のことでした。



なんのアポイントもなく、突然のフェリーからの電話。

僕は
「加藤君、いまどこに住んでいるの?」

彼は
「そっちはおとなしく北海道にいるのかい?」
「こちらはたった今、柏崎に引越しが終わったところで、今日から新居なんだ・・・
 ?  ・・・3時間後に新潟!?」

携帯電話越しに互いに声を弾ませ、すぐに落ち合うことにして、今日までの一年という時間、北海道・新潟という距離を重ねて溶かしていくもう一つの旅が始まりました。
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RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO 08

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深淵の森
size w7280 x h1820
所要時間 half day
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by hitoshiameya | 2008-08-20 21:31 | grally
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1年前にこの土地を離れるときに、基礎工事が進んでいた仮設住宅が完成していました。


見間違えるほど、むしろ他の土地と何一つ違和感がないほどに整備された道や建物、地震で崩れた壁などは、探すようにしなければみつからないほどでした。

その様子に、人の持つ復興への凄まじいエネルギーを感じました。

しかし、この仮設住宅に干されていた洗濯物を見たときに、

「一年を思い出す自分」

「一年をここで過ごした方々」

とを重ね、自分の無力さを感じました。



当時、避難生活をおくっていた小学生達と共に絵を描きながら、自衛隊の方々と炊き出しの準備に追われた時間を、今でもはっきりと思い出します。


2004年の中越沖地震で、非難生活をする方の体力や抵抗力が落ち、炊き出しから体調を崩してしまうことがありました。
その経緯から病院なみの衛生管理がなされました。
車といえば、自衛隊の装甲車。
ヘリコプターのあまりの数に、よほど近くを飛ばなければ、騒音にも気づきません。
その最中でメディアが殺到している様子にたとえようのない緊張感がありました。


一変する景色とは裏腹に、自然の驚異の前では、何人も謙虚になってしまう。


地割れしたむき出しの土から咲いた花を見つけて思い巡らしました。



炊き出しの準備が一段落したとき、柏崎小学校の裏手のビーチに、一度だけ寄ったことがあります。



右手には原子力発電所。

左手には自衛隊の駐屯地。


どちらもボンヤリと遠くに見えます。

ドラマで見るような海の家が一つだけあります。
僕が、立ち寄ると真っ黒な青年が一人でFMラジオをつけていました。

久しぶりにビーチにくる人に驚きながら、二人だけで少し過ごします。

遠くを見つめ、日本でも有数のビーチが無人になり、確実に過ぎ去る季節と、夏に生活をかける方々の今後を話してくれました。

「復興は夕方からやればいい・・・
夏はこの仕事しかない、街もメチャクチャ、今年の売上がなければ来年なんてない・・・

ウワサだけでも20軒くらいは今年で廃業するって聞いてる。

オレ自身もそうかもしれないけど、今だからこそ、こうやってラジオをかけることも必要な気がする・・・

正しいのかは分からないけど。」


どんな言葉が彼との別れの挨拶だったのかおぼえていません。
しかし、被災地へのもう一つの見つめ方を教わったような気がします。


炊き出しの準備にもどり、機械のように腕を動かして1時間・・・
だるさがキツくなり、そろそろ終わるかと思い、並んでいる人の数をみました。

不規則な曲線を描きながら延々並ぶ人の数、その最後尾を見つけるその前に一人の威勢のいい声がしました。

「1000食いったぞー!  あと2000で終わり!  ガンバレー!」

その声を境に、無心に、様々考えてしまう自分を少しだけ置き去りにできました。




加藤氏と別れ、自分に対する無力感へ答えを出せないまま、当時を思い出しながら柏崎をあとにしました。

ただ、この土地が僕に突きつけたモノコトは、ゆっくりではあっても、しっかりと自分に溶けていくのだということはわかります。


それが絵の一つ一つの形になることを願いつつ、八ヶ岳へむかいます。
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                      [LIVE PAINT 深淵の森]

八ヶ岳の八月、年に一度日本中から神々が集まり、話をする。

そしてその意思を受け8匹の竜が日本中に飛び立つ。



そんな神話があるようです。


神々への経緯と感謝をこめ、八月八日に清里で地元をはじめ、全国からアーティストが集いイベントが企画されました。

主催者の幾人かが友人ということもあり、ライブペイントの依頼をもらいました。

ステージいっぱいにキャンパスとなる壁をつくり、メインゲスト大村和生氏との競演となりました。

およそ30分の真剣勝負。


ライブ前に、標高1000mを越えるこの地にシラカバの木をみつけます。

北海道の景色と重なりながら、あっという間に時間がきます。




シラカバだけではなく、人もまた遥か昔、この土地に根付いていた先住民族が北海道に住むアイヌの祖であり、その史跡があちらこちらに点在し北海道までの道しるべのように静かにいます。

紹介された地元史に詳しい方からの、歴史の紐解きは必ずしも穏やかな内容ではなく、時には争いが繰り返された土地であると聞きます。

思い浮かべる景色は、目の前の無限に広がる豊かな自然と相反するようでした。


そして僕が到着したちょうど一ヶ月まえに、今もアイヌの聖地として名高い、二風谷からアシリ・レラさんが訪ねたばかりだと聞きます。

シャーマンとしての見解から今日に至るまでの歴史の紐解きと償いを地元の方々へ伝えたと聞いたときは、見えない何かが様々なモノコトをつなぎ合わせては引き合っているのではないかと感じてしまいます。

レラさんの託した、アイヌ刺繍いりの布を渡され、ポケットにしまいました。



一つ一つのライブペイントがどのような意味があるのか。
その答えはわかりませんが、いつも一身腐乱に描き上げてます。
とくに、この日のように 5m x 2m の絵を30分で仕上げるときは、考えるより、感じるより、遥かに自由に動いているような気がします。

ただひたすら描き上げた自分とイベントの趣旨が、自分の作品とが、どこまで重なり合ったのか?

ライブ後の会場にいた方、スタッフの方、共演者からの会話から巡らすことはできますが、もしかしたらポケットに入れたアイヌ文様の刺繍が切り開いてくれたのかも知れません。

一人涼しくなった風にあたり、太古の様子を身勝手に想像しながら、夜も深いなかファイヤーポイを見つめ思います。

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関係者の方々、スタッフの皆様、そして見えなくとも見届けてくれたなにかへ敬意と感謝をもって。


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今年前半の旅が終わりになります。
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1991年3月マウンテンバイクとBMXの専門店としてオープンし、1995年11月に現在の所在地に移転しました。 1994年より冬期はSNOWSCOOT(スノースクート)の取り扱いも開始しました。

 店はコンパクトですが、量より質を心掛けています。 展示しているバイクやパーツ/用品等も、厳しい目で選び抜いたモノです。 見かけや値段だけの商品ではなく、コストパフォーマンスに優れ、信頼できるモノ、末永く付き合えるモノをアドバイス致します。


お問合せ
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by hitoshiameya | 2008-08-09 18:47 | item
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photo by NATURAL BICYCLE 08

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