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カテゴリ:07 日本徒歩縦断 旅日記( 34 )  
2007 日本徒歩縦断の旅 (全34話)

*当時、友人を中心に旅の経過報告をメールで送信していたのを、東北に入ってから応援していただいている方が、ブログを用意してくれました。
そのため、ルート途中からの旅日記になります。

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今月8日からフェリーで青森県に入りました。
歩き続け山形県は3日目になります。

ブログの準備を完成させてから、この旅に出ればよかったと思うこともありますが、途中から始まることもまた、自分らしいと思いつつ、更新のペースもマイペースに綴りたいと思います。


昨日、本州に入ってからたまった歩き疲れをとるために初めての休日、明日には新潟県に入ることもあり、大好きになった東北を思い返します。

国道7号線沿いは北海道で多く見られる松の背より、ずっと高く立つ杉が、走るトラックをミニカーのように見せてくれます。
湿度の高さは、歩道に生えるシダ植物や、暑さの昼間、空気を食べるように吸い込むことで念を押されます。

最も好きな木のひとつの赤松が、杉の合間にみえたときは、いつも
「よしっ今日も見た」
と声を出さずに言って、少しニヤけながら歩きます。
北海道の北竜町にいたときに、田植えの季節だったのが、膝上くらいまで育ってます。
稲穂が風の向きやうねりを教えてくれます。
見渡す限りの田んぼは、横に走る道を隠していて、まるで田んぼを横切るようにトラックや軽トラが走ります。

なぜかかわいらしく見えて、ニヤニヤしながら歩きます。
秋田県を歩いていたある日、そんな景色にスタンドバイミーが合うのでは?と携帯で聴きます。

イントロで小さな橋に着きました、対岸で真っ黒に日焼けした高校生くらいのスポーツ刈の青年が、幅3メートルくらいの小さな汚いドブ川で釣りをしてました。
「こんなとこで釣れるのかよ…」
と思いながら、橋を歩きます。
少年はリールを回していて、きっと諦めたんだなと思いました。
橋を渡りきるころ、回したリールの糸の先に、小さなシシャモみたいな魚がピクピクとついてました。
「すげぇー!」
思わずでた、その言葉と、聴いていた曲も
「ダーリン!ダーリン!…」
と盛り上がり、まるでスタンドバイミー2を見た、そんな嬉しさが足取りを弾ませます。

そして今日、久しぶりの休日のおかげか、足取りもいつも以上に軽く、久しぶりに見渡す限りの田んぼを歩きます。
遠くに見える山は白っぽく、緑の絨毯が敷かれているみたいです。

サギがエサを探しにいます。

サギはとても警戒心が強く、何かの気配がするとすぐに飛び立つと聞いたことがあります。
目で簡単に追える大きな翼の動きと、ゆっくりと飛ぶ早さが、東北で出会った人たちのおおらかさや、優しさを重ねたりして、柔らかい気持ちになった気がします。
「虫の知らせだから休みな」と言って、弘前でバッタリ会い、宿泊先を用意してくれた、東京に住む先輩
立ち寄ったカフェで二言三言話しただけなのに、何度もコーヒーをごちそうして足止めしてくれて、さすがにそろそろ出ようとしたら、「倉庫だけど野宿よりましだから今日ぐらい、ゆっくり休みなさい」と言ってくれたオーナー

野宿の用意をしたあと、日記を書くためのペンライトの灯りを不審火と間違ったことで出会い、真夜中なのに「家で休みなさい」と言って泊めてくれた家族
脚を引きずりながら歩く姿をみて、まだ進みたいから何度も(5回くらい)断ったのに強制的に?、泊めてくれた家族
できるだけ思い出そうとしながら歩いてました。

1時間ほど、田んぼだらけの道を歩き続けると、突然ポツンと畑があります。

「なんの野菜だ?」
よく見てもわかりません。
50メートルくらい先に、姿勢よく背筋をのばした女性がいたので聞こうと思い、少しだけ大きな声で

「すみませーん…」
・・・

次は張り上げるように

「すんまっ!…」

叫んだ途端に、カカシだとわかりましたが、途中まで叫んでしまいました。
恥ずかしくなり少しだけ、ただ立っていると、全く警戒せずにカカシの脇をサギがゆっくり横切ります。

そんなこともあります。


いろんなことを教えてくれ考えた東北に感謝と、少し名残惜しさを感じながらも、次の季節と次の土地が変わるなかで、これから出会う人や景色が、どんな毎日をくれるのか楽しみにもしています。



本州に入って初めての休日の場所と時間、集めている絵をくれた家族へ、せめてのお礼に黙って置いてきたお返しのはずの絵。
そのお礼に、わざわざ車で追いかけてきてくれお礼を言われました。
そんなこともあります。
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日差しの暑さが、また少し強くなった気がします。
少しずつ進む旅が、南に着々と移動しているのを体感します。


海岸線を歩いています。
笹川流れの海岸は、多くの人から聞いていた通りに、透き通る海と白い砂辺が、岩をくぐるたびに、トンネルを抜けるたびに目の前に繰り返し広がります。

日曜日には、小さな祭をみることもでき、街に住む人を感じた気にさせてくれました。
それでも、なぜか興味は岩場に咲く花や、久しぶりに見た赤松に向いてしまいます。
アスファルトに咲いている花にも、力強さと美しさを感じますが、岩を打ち破り生える松や花は、また違う強さを感じます。
岩に生えるほどの強さをもつ松が、今度は風の強さにグニャリと山に向かって並んでいます。
その力関係が自然の壮大さを感じさせます。
旅に出て間もなく北海道で立ち寄った焼尻島でのオンコの木を思い出しました。

厳しい冬の雪の重さで背が低く奇怪な形をして生えていたのを思い出し、植物もまたその土地、その土地で様々な姿で生きているのだと実感します。


キョロキョロしながら歩いていると、聞き慣れない大きな音がしてきました。
空を見上げるとヘリコプターが飛んでいます。
ヘリコプターに乗ったつもりで、上から見る砂浜を勝手に想像します。
地図では、すぐそこの距離に県境の線がひかれています。
当たり前ですが、実際にはただ海岸が続くだけです。

県境は人の作ったもので、海や山は続いているという当たり前のことに気付くと、なぜかホッとします。
そして最近つくづく思うことは、触れ合う人の方言もまた緩やかにつながっていて、景色の一部となって土地に溶け込んでいることです。

たまに聞き取れない、その言葉と、人との触れ合いにいつもホッとします。
そんななか、県境を越えるとはっきりと違うのが民家に停まる車のナンバーです。
ただあの川越えただけ、あの山越えただけ。
わかっていても不思議でいて、面白いものです。

(震災地に向かう途中)
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思わぬところで、気候の違いを感じました。

新潟に入り、立ち寄った家の庭にヤシの木が植えてあります。
旅に出てから初めてみたヤシの木。

こんなに早くみるとは…
そして、ここでは枯れずに生えることができるんですね。

バイパスとよく言われる高規格道路のシステムにも慣れてきました。
秋田県では最初は気付かず歩いてしまいました。
道路左手を歩いていると、さらに左から原っぱを警察官二人が警棒を振り回して走っています。
まさか自分に向かっているとは思わず、その様子を見ながらしばらく歩いていると、真後ろにパトカー…
この先にある温泉にいきたいと説明したところで軽く流され、お返しに丁寧な道路についての説明をいただきました…。

結局バイパス交差点まで逆戻りをパトカーでの送迎。
その節はお世話になりました。

バイパスにはだいたいその脇に人が通れる道があることを知りました。
カカシに話しかけたのも、そんなバイパスの脇道でした。
今日もバイパス脇道を歩きます。
今は梨の木に囲まれてます。
農家の方に聞いて、初めて梨の木だと知りました。
今回はカカシに話した訳ではありません。

一つ一つの果実を丁寧に紙袋に包む作業をしています。
これはムクドリやカラスから果実を守るためだそうです。
その後、逆に旅について聞かれ、答えると
「北海道!」
「沖縄!」
「あら~大変だねぇ~」
今、目の前の一本の木に何百と果実がついている梨の木。

それがさらに何百と並んでいて、その一つ一つに紙袋をつける…。
そのほうがよっぽど大変だと思いました。
お互いに当たり前にしていることが、互いに大変だと思う…。

少し奇妙で楽しく、愉快な気持ちがしました。

梨は秋に収穫を迎えます。
その頃、いったいどこにいるのだろう?

一つ楽しみが増えました。

どこかのスーパーで梨を見たら、きっとこの日を思い出すだろう。
また一つ楽しみが増えました。

そのころには、きっと稲穂が緑から金色になるでしょう。
そして、楽しみが増えたことと新潟市に近づくころから。

サギの姿を見れなくなりました。
街でなんでも揃えることができる安心感と、どこかにあるさみしさを、ほんの少しだけ感じながら今日も歩いています。
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セミの鳴き声なんて、珍しくもないはずですが、毎日少しずつ大きくなる声に、暑さだけでなく、たまに涼しさを感じます。

あらためて聞くと、今日のセミの鳴き声は意外に小刻みに鳴っていることに気付きます。
そんな小さな発見が暑い夏を少し嬉しくしてくれます。

新潟市には冬になると、白鳥が渡る潟があると聞きました。
その潟の近くには、白鳥から名前をとった競技場があります。

市街地をぬけるとすぐに、田んぼになります。
青森から続いている田んぼの景色は、いつ見ても安心します。
またサギがゆったりと飛んでいます。
そして、同じような大きさの真っ白な鳥がいます。
白鳥かな…?
さらに進むと、もう珍しい光景ではなく、何度も見かけます。
それが白鳥かどうかはさだかではありませんが、今日の追い風のおかげで、歩くスピードと、飛ぶスピードが同じくらいになります。

20メートルくらいの近さで、同じ方向に向かって進みます。
その様子をよく見てみると、クビをS字に曲げ胴体に寄せるように飛んでいました。
そのまま、同じ方向に進んでいくデートは続き、200メートルほどで別れました。

クビを曲げながら飛ぶという、小さな発見で嬉しくなりつつも、
鳥と話しできたらなぁ…
と、笑われてしまいそうなことを自然に思ってしまいます。

今日は、もう1つ発見をしました。
道路沿いすぐそこに、トマトがたくさんなっているところでカカシが立っています。
よく見ると、マネキンに服を着せています。
どうりでリアルだと思いました。

以前、カカシに話しかけてしまったことが恥ずかしかったのですが、少し救われた気がしました。

稲がもう太ももくらいまで伸びています。

所によっては穂先からチラホラと実が見えるようになりました。
初めて稲の成長を毎日実感しながら過ごす今年は、最も農薬の散布をみる年でもあります。

実に様々なことを語りかけてくれます。
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クロアゲハを見たのは、2回目です。

もう6年になりますが、毎年恒例で札幌の隣にある、江別市にある木を見にいきます。
今年は旅があるので半分あきらめていたのですが、稚内から札幌に着き、再スタートの準備をするなか友人に連れて行ってもらい、立ち寄ることができました。

その森は毎年印象が違います。
時には、優しく受け入れてくれたり、拒絶されたり、無視されたり。
という気がなんとなくします。

勝手にそんな風に感じているだけですが、とくに今年は思い出深い日々の中での一日だったので、思いかえしながら歩くスピードをゆっくり緩めます。

先日その友人に電話した時のことを思い出し道ながらに歩いていると、ふともう一つ思い出したことがあります。
一週間ほど前に立ち寄ったガソリンスタンドにいた女の子のことです。
その日は朝早くから出発しました。
6時には朝食をすませ、歩きはじめ1時間もすると雲一つない青空と引き換えに、強い日差しとアスファルトからの照り返しで、いつもよりバックパックが肩に食い込む感じがしました。
昼過ぎから、松林が続き気温も本格的にあがります。
日陰を探すように歩き、細かく水分をとります。
2時に最後になってしまった水分を取ってからというもの、その日は朝は工業団地、昼から松林で店はおろか、自動販売機すら見当たりません。

あるのは延々続くクロ松と暑さ。
歩道もとっくに切れ、トラックが行き交う度に道路に引き寄せられるように突風が吹きます。
しかしなによりも、やはり日差しがこたえます。
こんな時はまわりを見渡し
「今のうちに光合成しておけよ…」
と偉そうにして、植物に指示をします。

同じ景色、同じ動作を繰り返し、時間も6時を過ぎたころ、やっと遠くにガソリンスタンドが見えました。
たどり着くと店内へ快く招いてもらい、ゆっくり休んでいきなさいと加えて言ってくれます。
そのガソリンスタンドはお父さんと娘さん二人で営業しています。
そしてもう一人、少し年の離れた小学校に入学したてくらいの女の子がいます。
真っ黒に日に焼け、蚊に刺されたあとでいっぱいです。
店内のソフアでぐったりしながら、スポーツドリンクを立て続けに3本飲み干すと、しっかり腰から根が生えてしまいました。

するとオドオドしながら女の子がよってきて
「こっちきて」
と腕をつかみ外の給油所に根を引き抜くように引っ張り出します。

空を指さし
「今日も昨日より月が赤くなるよっ!」



うっすらと空が黄色にかわっていました。
夕日のことかな?と思っていると、ちょうど仕事の手があいたお父さんが女の子のところによってきます。
「そっかぁ、昨日よりお月さんは赤くなるか。今日も見ようなぁ。」
言いながらこっちを向いて笑っています。
その後、親子三人と少し話をして、この先7キロのところに地図に載ってない温泉があると聞き、そのガソリンスタンドをあとにしました。
約一時間半、赤い月をみようとじっと空を見ながら歩きます。
少し早く暮れるようになった空が、みるみる赤くなっていきます。
ところが、月はそれとは逆に真っ白に強く輝いていきます。

もう暗くなってしまい、完全に夜になりました。
もしかしたら一瞬でも月が赤くなるかも…

諦めずに眩しく光る月を見続け一時間半。
温泉に着いてしまいました。

それでもなぜか、その子のおかげで何かをもらったような、得をしたような気分でした。
いまでもあの日の月はきっと赤くなっていたと思っています。

そして温泉の入り口に着くまで待てず、今日の達成感にまかせて、歩きながら札幌の友人に用もないのに珍しく電話をかけました。

その友人と江別の森で一緒に見た、今年最初のクロアゲハから一月半。
「おぼえているかな?」
と思いながら、また晴れた夕焼けに、赤い月を探そうと思います。

あの子の描く、赤い月の絵を何度も想像してます。
ここにいると、なぜかそんなことを思ってしまいます。


柏崎小学校でのボランティア、自衛隊の方々と共に炊き出しを盛り付け、トイレ掃除、子供たちとの絵の描き合い。

この土地は一人の旅人ができることのあまりの小ささを何度も何度も繰り返し教えてくれました。

それからというもの、旅をしながら見る景色が、少しぼやけているように思うことがあります。

たとえば同じ景色や出会いを見つめる時に、そこに根を生やした自分と、旅人としている自分がいたとして。
感じることの、なにかが違っているような気がします・・・

同じモノコトが新鮮であっても、見飽きていても。

この歩きの旅は、文字通り「一歩間違え」ば新鮮な出会いで隠され、人々の日々の営みから盲目になってしまう。

それに気づかずにいることは、とても恐ろしいことと思います。

(震災救援ボランティア 架設テント閉鎖直後の駐車場での野宿)
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気温は35℃はこえているというのに、通りかがった湧き水はすくう手が痛くなるほど、冷たく冷えていました。
それと相対するように、今日立ち寄った温泉のお湯は地下1200メートルから吹き上げられ、それでも冷却してやっと湯として自然恵みを体感します。
東北を歩いているときに、近くに80年の時間をへて地下水から湧き水としてまた循環していくところがあると聞きました。

記憶は曖昧ですが、風は風速約1メートルで体感温度1℃下げると、いつかのテレビで見たのを思い出します。
それを日々歩くなかで思い知らされています。
その恵みの風は強風となると、そこに立つことさえ許さないこともあります。

海の波や滝のしぶきは身体を癒す力があることが立証されているようです。
その水の流れは時に橋を崩し、土砂を削り、ただそこにあるものを当たり前のように流していきます。
津波や高潮は触れたすべてを引きずり込みます。

旅はまだまだ途中ですが、自然とともに生きるとは、どれだけ今の自分とかけ離れたことなのか何度も繰り返し思い知らされます。

地震がくる前に、多くの動物はすでに知っているかのように避難を始めると言います。
雨の前には、家の屋根のあたりをトンビがゆっくりと低く飛んでいます。
昼過ぎから、どこまでもついてきた蚊は、台風の匂いがする風の吹くころ、探しても見当たらなくなりました。
今日から富山に入りました。
セミが短い地上での命を全うして歩道の上でアリに運ばれていきます。
その光景に、ほんの一瞬だけ、なぜか羨ましさを感じました。

今日の実りはじめた稲を触りました。
まだ青い実は少し握ると潰してしまいそうで、感触だけたしかめます。
たまに降る雨の重みで、みんなダランと頭をさげてます。

15年以上も自然と向き合い、無農薬で米造りに励む農家の方は様々な想いや農法を語ったあと、
「それでも台風がきたらみんな駄目さ」
と、笑いながら潔くいいます。

考えたり悩んだりするということは、いかにも人間らしいと思いながらも、試練であるとも感じます。
たまにはごちゃごちゃしたものを考えながら歩きを進めます。

ふと通った田園の中に、手入れのされた立派な松が余分な枝を落とし、遠くに生えています。
そんな木が所々にあり、去年旅したカンボジアの農村を思い出しました。

カンボジア滞在前半で最もお世話になった女性の旦那さんの言葉

「むずしいことはかんたんに、かんたんなことはかんたんに」

思い出せてよかったと、素直に思います。
札幌の友人達が台風と相談しながら、野外でイベントをしています。
台風もたまにむずかしいとは言わず、わがままに付き合ってほしいとお願いしながら歩きます。
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注意して聞くと、緩やかに言葉のイントネーションが少し変わっていることに気付きます。
関西弁とは違いますが、でもどこか通じるような気がします。

甲信越付近からずっと続く瓦の屋根は、少し雨があたると、たとえ何十年もたっているような古い建物でも、力強くどっしりとして、綺麗な光沢と正確に敷き詰められたデコボコがより厚みを増しているように見えます。
まるで最近作られたかのような立派な存在感を示してくれます。

今日は川で遊びます。
川を渡るには、あたりまえですが橋があります。
橋の名前、川の名前、そして一級河川、二級河川などの表示もあります。
二級河川に
「まぁまぁだな」
一級河川に
「やるな…」
と、自分勝手なモノサシをいつもあてます。

渓流釣りをしている人を見つけます。
何が釣れるのか知りたくて橋の上から大声で話しかけますが、川の流れる音と、車の音で何度呼びかけても聞こえないようです。
聞くのをやめて、ただ黙って釣り人を見ることにしました。

黒く光る釣竿はながく、糸を垂らすようにしてじっとしてますが、その足元は激しい川の流れにじっと立っていて、その動きのない様子をしばらく見つめます。
ハッとして、その姿に見とれながらも先をあるきます。
30分もしないうちに、また大きな川に着きました。

「橋の上からじゃ、なんもわからないな…」
川を体験したくなり、胸くらいまで生い茂った雑草をかき分けて橋から降りていきます。
すぐに雑草だらけの所は終わり、丸石の上にバックパックをドサッと置いて川のすぐ脇に座ります。
濁りもなく、綺麗な水の流れに気持ちも落ち着き、脚をつけたくなりました。
「きっと綺麗で冷たいんだろう…」
ワクワクしながら靴ヒモを左右同時に一気に緩めます。
靴下も勢いよく脱ぎ、靴の中に突っ込んで立ち上がります。

ゆっくりと右足を入れました。

「ヌル…」

全然冷たくないです。
ぬるいです。

せっかくなので、とりあえず両足を浸しますが、さほど感動もありません。
また丸石に腰をかけ、濡れた足を乾かします。

ふと目の前に、どうして気付かなかったのだろうというくらい大きな木が丸石の上に乗り上げています。
枝はもちろん根もそのままに、流木というにはあまりにも原形のままの姿で横たわっていました。
みるからに最近ここに流された木です。

すぐに思い出したのは、
「旅をする木」
という物語でした。

粗筋程度しか知らないのですが、だいたいはこんな感じだったと思います。

鳥が木の種を運び、偶然とても離れた土地で長い年月をかけ木は育ちます。
同じく近くにある川も長い年月をかけ浸食をし続け、やがて木は川を流れ流木となり旅が始めます。
全く木のない、はるか北にたどり着いた流木はキツネの縄張りとなり、そのキツネを追いかけた人間によって蒔にかわる。
そして火をつけ木の魂は空気をただよい、また旅が始まる。

たしかそんな粗筋だったと、思い返します。
今目の前にある、若い流木がこれからどんな旅をするのだろうか…

自分と照らし合わせます。
この木のように自由でいて、それでいて潔く川の流れに身を委ねることができたら…
少し羨ましさを感じました。

もしかしたらあんな所や、こんな所に旅にいくんじゃないかと勝手に想像しました。
そんなことを思っていると、とっくに足も乾いていました。

靴を履き、また来た道を戻ります。
少し斜めに折れた雑草の合間をくぐり、橋に戻って歩きだすと、すぐに田んぼの道になります。

稲が腰まで伸びていました。
一年で終わる稲の成長をたしかめながら進んでいくこの旅も悪くないさ。
流木の横たわっている姿を思い出しながら、少しだけ軽い足取りで歩き進めます。


自分には家だけじゃない、帰りたいと思う人や場所があるんだと、若い流木がそっと教えてくれた気がします。
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昼過ぎに、ここぞとばかりに気温も上がるころ、いまだに慣れない暑さはあるものの気持ちよく歩きます。

突然、広げてもいない股の間をくぐり抜け、セミが道路の反対側へ飛んでいきます。
腰くらいの高さで、3回上下に大きく揺れながら、そのままストンと地面に落ちていきました。

正確には3回高く飛ぼうとして力尽きた…
そう見えました。

なんのきっかけもなく、いきなり目の前で一つの命が去っていきます。

なにを想えばいいのだろう?
でも、たしかに何か込み上げてくるモノが静かに膨らみはじめます。

気が付くと、地図も確かめずに国道を進むのをやめ、脇道に入っていました。
なにか自分に向けたむなしさがあることを、ぼんやり確認します。

「死が、決してゆずらないこと…」

そうではなく、自分もまた限られている時間を生き、今も過ぎている事実に対して…、

これでいいのか?
この調子でいくのか?
と、ぼんやりと問いかけていたのかも知れません。

景色は一変し、なにかの事務所や花屋、バス停、どこにでもありそうな道をなんの目処もなくゆっくり進みます。
ずいぶんと歩いたと思います。
やがて、広い公園にそれなりに大きく育ったケヤキの木があります。
樹齢100年たったくらいかも知れません。
日差しを避けるには十分すぎる木に、もたれるようにバックパックを置きます。
そのバックパックを少し脇に寄せるようにゆっくり息を吐きながら木にもたれます。

しばらく涼しさもない木陰にもたれています。
稚内で偶然出会った男性の言葉がよぎります。
「ようは何が言いたいかっていうと、100メートル走だと最初から全力で、フルマラソンだとペース配分を考えるだろ?
どっちにしたって全力だよね。
でも、もしゴールを曖昧に走れっていわれたらどうする?」

考えはじめた所で答える間もなく、男性は話を続けます。
「とりあえず走り出して、疲れたら休んで、またそれなりに走り出して…
もしかしたら、走れっていわれるまでチンタラ適当に歩くかもね…
不安で進まないのかもしれない。
それで突然ここがゴールですっていきなり言われたら拍子抜けするでしょ?」

ウンウンと顔を見合わせ話を聞きます。

「だからとりあえずでもゴールは自分で決めようにしている。
難しいなら目標でもいいさ。

とにかくその時に自分で決めた精一杯をすれば続ければいいさ。」

セミを思います。

人間より遥かに短い地上での生活。
もしセミが人と同じように2週間くらい悩んで、鳴くことなく飛ぶことなくいたら、進んでいることになるだろうか?

ザワッと背中に寒気が走りました。

そこのケヤキが根っこのあたりにいる日に焼けた男に言います。

「短い命、鳴くことなく、飛ぶことなく生きてどうするよ?」

言われた気がして
「ウルセーよ、縄文杉にも言ってみろ」
すぐに立ち上がり、もとにいた国道を目指します。

さっきどこにでもあるはずだった通りは、むせかえる暑さに紛れ花の香りがかすかにする花屋を通りすぎたころ、疲れた油の匂いが鉄工所のまえでします。
わざわざ、あそこの公園にいくまでもなく細身のケヤキは街路樹としてずっとつづきます。
その木陰でバスを待つおばあちゃん。

ムク鳥が暑いアスファルトを素早くトコトコ走ります。

30分前に通った何も変わらないはずの同じ道が、何もかもが違って見えて、聴こえ、匂います。
「…もう国道か?」
帰り道は遥かに短く、あっという間に終わってしまいました。

今は、それなりに精一杯感じていたんじゃないかなぁ…。
それくらいで今日は勘弁してや…

ケヤキに心の隅っこで訴えたあと、いつまでも出続ける汗がいつもより気持ちよく感じます。
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富山から石川にかけての峠をこえると、久しぶりに山林の続く道を歩きます。
この辺りから温泉が続くこともあり、峠でびしょびしょになった汗を流そうと、地図で一番近い温泉を目指して国道を降ります。

歩いて10分ほどで途切れる小さな街に入ると、のんびりとした空気を感じます。

狭く少しの下り坂を、農作業を終えたらしいおばあちゃんがポチッ ポチッっと歩いています。
温泉の場所を聞こうと、近づきながら話しかけます。
「すみませーん」
「すみませーん!」
ポチッ ポチッっと歩いています。
耳が遠いのはあきらかなので、これしかないと言わんばかりに真正面まで回ります。
ゆっくりと大きな声で
「おばぁちゃん、この辺りにお風呂…」
話しかけている途中で、老女は満面の笑みを浮かべます。

そのままゆっくりと大きく二回うなずきます。
そして、またポチッ ポチッ。
何事もなかったかのように歩いていきます。

もう打つ手がないと諦めて、他の人から聞こうとしますが、今さらおばあちゃんを追い越すのも、どこか気が引けました。
結局、ポチッ ポチッのペースにあわせて少し後ろを歩きます。
犬の散歩途中の人から温泉の場所はわかったものの、夕方の4時には閉まるとのことです。
すでに6時も過ぎていて、西日がいまにも赤くなりそうでした。

4時での閉店にも驚きましたが、先ほど会った老女ののんびりさに、妙な説得力があります。
結局その日は次の温泉で休み野宿をすることにしました。
そこも少し国道から外れた静かな場所でした。
羽幌の星空を思い浮かべながら、いつの間にか眠っていました。

首が痛くて目をさまします。
時間は4時でした。
姿勢を整え、再び目を閉じると、いつもより大きくコオロギの鳴き声がします。
まるで会場全体を埋めつくすオーケストラの音のように、うるさいのではなく、迫力のある演奏に聴こえてきます。
黙って目を閉じて、しばらく聴いていると、右から小さくスズメが鳴きます。
するとつられるように左からもっとたくさんのスズメの声がこたえます。
少しの間をおいて、低い声で
「グァ グァ」
と聴いたことのあるような、ないような鳴き声がします。
遠くから、今度は高い音で
「ピーッ」
と、これも真ん中からします。
そして、だんだんと盛り上がり、少し落ち着きはじめました。

あまりにも計算されたかのようなオーケストラに、顔がゆるみますが目はそのまま閉じています。
すると、コオロギの声の中を右からゆっくり左へとカラスの鳴き声が移動しました。
そのカラスの鳴き声が合図とばかりに一斉に盛り上がります。
そしてすぐに鳥の声がまばらになると、コオロギの声がまた響きます。

しばらくすると、スーッとまた何かの合図でもあったかのようにコオロギの鳴き声がひいていきます。
そのまま入れ換わるように、今まで気にもならなかった車の走る音がだんだんと聞こえきます。
まるで道路がこっちに移動しているかのように、コオロギが去り、車の音がやってきました。
薄く目をあけると、空が藍色になっていました。

夜の終わりが、オーケストラの終わりを自然と感じさせます。

あまりにも計算されたかのような時間に、人間のしらないオーケストラに招待された物語を描くような感覚をもちます。
その一方で、埋めつくすようなコオロギの鳴き声が、毎日繁殖のため雄が必死に鳴らす音と考えると、大きな自然の営みを感じてしまいます。

そのまま二度寝をし、朝7時に散歩途中の老女がきます。
「あらぁ、野宿かい? ゆっくり休みなさい」
その声に目をあけ、ウトウトお礼しながら言葉どおりに寝ています。

しかし今回のおばあちゃんは、休みなさいの言葉とは裏腹に、旅の質問、近所の話、温泉の話と、前の日に会った老女とは正反対に途切れることなく延々一時間話しかけてきます。

出会い求める時に老女は現れず、孤独求めるとき老女はやってくる。

そんな適当なことわざはないですね。
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こみ上げる哀しい気持ちと背筋の寒気を、黄緑色になってきた田んぼの稲の絨毯に投げてしまいたくなります。

沸き上がる自分に対しての怒りは、見上げても見上げてもまだ続くコンクリートとガラスのビルにぶつけます。


たとえようのない、言葉にできない刹那さは、めっきり短くなってきた夕日の間に、わざと大きくします。

ただ前へ、何に向かうのか、何がしたいのか知っていようが、わからないとしても。

歩くというのは単純で、一歩進めば前に進みます。
実際にいつの日かのゴールから逆に数えてみると、確実に近くになります。

「前に進んでいるぞ」と

「いくつも壁は乗り越える、まだまだ越えるんだ」と

「旅なんて、ずっとずっとはるかに前からはじめていた」と

「おい、見てるか?やっているんだぞ」と

「忙しいか?大変か?メシは別か?楽しくなければだめなのか?納得できなければ意味が薄いか?」と

「誰か気付いているか」と

「それでも触れないでいてくれ」と

「想い描くことに理由が必要なのか?」と

「何かのためにならなければもったいないのか?」と

「前向きに考えたり、反面教師といって、目の前の手に届く問題から上手にズルく目をそらしてないか?」と

「本当にわかっているのか?」と

「楽しくなければ、本当に意味はないのか?楽しめなければもったいないのか?」と

「楽しみ方はそれぞれと、放棄するようにいうのか」と

「それでいいのか?」と

「それでいいのか?」

「これでいいのか?」

友人の亡くなったこの季節になると、一年の自分にぶつけます。
去年のいま頃と、さほど変わらない質問をします。

お盆時期という季節柄、古くからの友人や日々支え合う友人たちとの連絡が続きます。
しかし、誰一人として歩きのことなんて聞いてもくれません。
「終わったらなにするの?」
歩くのだって意外と大変なんだけど…
苦笑いのなか、39℃をこえ、常に湯船にいるような気温のなか、そんなことも忘れて自分にぶつける短い季節がやってきました。
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photo by NATURAL BICYCLE 08

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