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カテゴリ:06 カンボジア( 6 )  
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僕とカンボジアを結ぶもの。



きっかけはあるようで、なにもありませんでした。



学生の頃、クラブやライブハウスに通うようになってから、自分で仲間と一緒にイベントを主催するようになりました。

今思えば、一つ一つのイベントになにか大きな違いがあったわけではありませんが、客は100人、200人・・・700人を越え、いつか1000人の来場者を集めることが目標になっていました。

それと同時に、ふとポッカリとあいた虚しさを感じるようになりました。



打ち上げ花火のように過ぎてゆく時間と、年を重ねることでそれぞれの事情で過ぎ去る友人達。

そんななか、何年も変わらず会う友人の一人も同じようなことを考えていたようでした。



「どうせやるなら、

なんか・・・

なんとなく、

ちょっとでも、誰かにやさしいことしたいね・・・」



その一言が耳にずっとのこっていました。


なにが「やさしさ」なのかもわからないまま、

「今度のイベントのあがりは、全額どこかに寄付をしよう」




幾人かの友人を辿って、カンボジアにある「スナーダイクマエ孤児院」に寄付をすることになりました。


事実として使命感などなく、自分のポッカリとあいたなにかを埋めることができるのではないか?

ただそれだけで始めました。


2004年の7月7日の良く晴れた水曜日でした。
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2004年からはじめた年に一度の自分にとっての特別なイベントは、始めは後援会の口座に黒字額を全額寄付をすることで終了しました。

翌年の7月、また同じように口座に寄付をしようとした2週間まえに、スナーダイクマエ孤児院のあるシェムリアップで、小学校を襲う銃撃立てこもり事件が起こりました。

その事件の人質の一人に、孤児院運営責任者のメアス博子さんの子供も巻き込まれてしまいました。

なんらかの方法で、寄付を日本から受けていることが広がることで、孤児院が狙われる恐れがあると連絡が入り、メアス博子さんが和歌山県出身ということもあり、実家の郵便口座に直接振り込むことになりました。

このやりとりも、当時は友人を通じてのことで、孤児院との直接のやりとりはありませんでした。


2006年7月には3年目というよりも、今年も開催する恒例行事となっていました。

イベントに集まる客も、はじめは同窓会のように、知り合いで溢れていたイベントが、3年目には告知らしい告知もなしに、ほとんど始めて会う方々で、小学生から50代まで誰もが僕が主催者ということもわからない様子でした。


右肩上がりで寄付額も増え、古くからの友人は、自分のイベントのあがりを封筒に入れて「寄付にまわせ」と言って、僕のイベントに参加してくれるほどでした。

3年目だから、というわけではありませんでしたが、今年は寄付の口座が 孤児院 か 和歌山 か尋ねるため、初めてメアス博子さんと連絡をとりました。




返信は

「毎年の御心遣い、心より感謝申し上げます。

来月、日本に帰ります。一度お会いできればと願っております。」



2006年8月
この年の寄付は、口座への振込みではなく、直接手で渡しました。

その封筒の中には、前夜祭と称してイベントを開催してくれた友人の封筒。
クラブでレギュラーパティーを開催する友人の封筒。
路上で音楽を演奏する友人の一週間分の投げ銭の入った封筒。

クシャクシャになった紙幣と、ジャラジャラと小銭の音がする寄付でした。
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道標  
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最低限の礼節程度の挨拶はしたと思います。

東京で、メアス博子さんとの始めての対面。


印象深い会話はいくつもありましたが、その中で僕について博子さんの言葉です。


「寄付を受けることは、初めてではなかったのですが、毎年同じ時期に、必ず 1円 単位で寄付をする人に興味が湧いたんです。
きっと、どこかのNPO・NGOの方だとおもっていたら・・・」

彼女にとって僕の印象は意外だったようです。



スナーダイクマエとは、「 カンボジア人の手によって 」 と直訳されます。

それは、孤児院における子供達の自立を意味しているのでしょう。

一児の母であり、20人を越える孤児達の母であり、女性であり、運営責任者。


初めて会ったとは思えないほど、治安・宗教・観光・教育・・・次々と会話を繰り返します。


カンボジアにおける深刻な状況は、時にメディアの注目を浴びるようです。
ローカルNGOでの活動を続けるスナーダイも例外ではありません。

来客も多く、そのときに正装として着るシャツのデザインを依頼されました。

それは、孤児院における子供達の一体感にも繋がり、発足当時からの目標だったと聞きます。



北海道に戻り、すぐに「 NATURAL BICYCLE 」に相談しました。

彼らもまた、初めてイベントを開催したときから、変わらずサポートを続けてくれている大切な友人達でした。




孤児のサイズ・人数に合わせた枚数と、同じ数の洗い換え用、住み込みスタッフの分を物資として届けることになりました。


郵送を検討していると、博子さんからの返信は、


「 孤児院内に壁画を残して欲しい 」


僕が自分の手で運び、絵を描くことが、自然な流れだと、

それ以外は考えませんでした。




タイ経由で入国寸前の飛行機のなかでさえ、どこか実感がありませんでした。

しかし、キャリーケースにびっしり詰まった60枚のTシャツは、これまで支えてくれた方々の想いが染み込んでいるかのようでした。
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入国は、いきなりのロストバゲッジに遭遇、すべての荷物がタイから出国されず、まさに身一つでカンボジアの地に降り立ちました。

テング熱が例年の倍の感染と聞いていましたが、予防接種も間に合わなかったため、蚊の対策を万全にしましたが、何一つの荷物もありませんでした。


しかし、空港から出て、はじめて吸い込む空気が身軽さもあってか新鮮に感じられました。



すぐにメアス博子さんと合流し、僕が誕生日に入国するのを知ってサプライズバースデーを企画してくれました。

カンボジアでの始めての食事が誕生日ケーキだったのは生涯忘れられない思い出です。



空港から連絡があり、なくなった荷物の行方に目途がたつと、はじめに孤児院を訪ねたいと伝えると、

「まずアンコールワットを、遺跡を見てほしいです。
カンボジアの誇りでもあって、世界遺産を取り巻く、今の実情をみつめ、その中に孤児院があることを知ってほしいからです。」



その言葉に納得し、一日中遺跡を一緒に巡ります。
太古の圧倒的なスケールや過去の大量虐殺、宗教観、ビジネス、隣国感情、地雷による障害をもつ人、子供達・・・


すべてがここで同時に存在します。

一つ一つのテーマを考えるのではなく、すべてが繋がり理由があるということを思いました。



このとき、この旅はスナーダイのためだけでなく、むしろ自分にとっての勉強の旅だと思い始めていました。
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入国2日目、ついにスナーダイクマエ孤児院につきます。




カンボジア、とくにシェムリアップ周辺にすむ子供達にとって、アンコールワットを中心とした観光業が大きな人生の選択肢の一つだと聞きます。

英語に次いで、日本語が話すことのできることが、より職種を広げる手段となり、スナーダイでも日本語を院内で教育していると事前に聞いていました。


しかし、はじめてかけられた言葉が、

「 ヒトシさん 来てくださって、ありがとうございます。
 お荷物お持ちしましょうか?」

そのなめらかな口調に、驚きました。
そして、昨日今日の教育では身につかない自然な振る舞いに、博子さんをはじめスタッフの方々の、日々の積み重ねを感じました。


孤児院とは言っても、子供達は小学校から高校まで、学校に通います。
午前に小さな子供たちが学校なら、午後は大きな子供たちが通学にいく。

およそ半分に子供たちと初めて挨拶を交わし、孤児院を案内してもらいます。


養鶏や畑、炊事場や井戸、施設だけでなく、そこに生える草花など、すべてが新鮮でした。

詳しく、日々を教えてくれます。


一段落し、博子さんの事務仕事も終えると、日本からもってきたTシャツを渡しました。


はじめは、みなキョトンとしていて、博子さんが簡単な経緯を説明すると、誰からともなく一人ひとりTシャツを持ちながら、僕の目の前にたって、

「ありがとうございます。」

と、順番にならびながら言います。


いきなりのことで、今度は僕がキョトンとしていましたが、次々と「ありがとう」を繰り返されると、心の中で、

「これを日本のみんなにみせたい」

と溢れるように思いました。

そして同時に、この瞬間が、どれだけ多くの人の 想いと共にある行動 の積み重ねなんだと痛感しました。




「こんなに喜んでもらえるなんて思ってもいませんでした。」



博子さんは静かに笑って、

「ここの子供達は、本当に素直だから」



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日本で始めて会ったときに、教育が一つの大きなテーマだと聞きました。
今日におけるカンボジアには、ストリートチルドレンに戻ることを楽に感じてしまう子供も少なくなく、その誘惑は日常に溢れていると聞きます。

そのことを博子さんに聞くと、

「自立を目指すうえで、知識や技術も大切です。
でも、自立とは何を指すものなのか、自分で判断できるようにすることが前提なんです。

それは、礼儀礼節からはじまって、団体行動がとれる人間に育てなければならないからです。

それまでは、むしろ孤児院が子供たちの日常から守っていることもあります。

私はどちらかといえば、孤児院内では責任者、外では母親として行動することが多いかもしれません。」



「ここの子供達は、本当に素直だから」

そう言ったときの博子さんの目は、孤児院にいて、母親の目をしていました。




僕は 喜びを  感謝を  どれくらい想い、伝えているのだろう。






明日描く壁画の場所と時間を打ち合わせ、初めての訪問は終わりました。
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カンボジアの朝は早い。

朝6時ともなれば、ほとんどの店や施設は開いています。


壁画の制作も、午前中になりました。

昨日も訪ねたこともあり、子供たちの表情が一層柔らかく感じます。



ふと、一人の女の子が部屋に走っていくと、なにかの合図なのか、つられる様に無言で誰もいなくなってしまいました。

僕は朝の規則かなにかだと思い、博子さんと再度、壁画の打ち合わせをします。
絵を描いている様子をみせてもいいのかということでした。

すぐに快諾し、細かな打ち合わせもします。



いままでのライブペイントはこの日のために何百回も繰り返していたのかもしれない。

ほんの少しだけ頭によぎりました。


必要な時間、水道のあるところを確認し終えたとき、皆がぞろぞろと部屋からでてきました。




20名の子供たちが、昨日渡した青のTシャツをきてでてきました。


戸惑いが一瞬だけ、すぐに湧き上がるような感動。

「かっこいい・・・」

おそろいのTシャツを着ている子供たちが、昨日より凛々しく見えました。








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僕は絵を描くだけ。

それは、カンボジアに来ても同じでした。


時に、一瞬の出来事で、たったひと筆の出来事かもしれません。

いま、子供たちのきているTシャツの絵も、ライブペイントの作品です。
ただ絵のできあがるのを公開するのではなく、ライブをする。

この定義は曖昧で、言っている自分もはっきりとした違いは分かりません。
しかし、ありとあらゆるモノコト・・・すくなくとも、ライブペイントは瞬間の積み重ねで、さらにライブにいたるまでも同じように積み重ねだと思います。

ただ絵のできあがるのを公開するのではなく、ライブをする。


僕はやはり絵を描くだけでした。


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ライブが終わり、一人ひとりと握手。

とても喜んでくれているのが伝わります。
しかし、言葉にならないほどの感謝がこみ上げてきます。

日本、北海道だけでさえ、絵を描いている人は数え切れないほどいます。
ライブペイントをしている人も数え切れないほどいます。

順番はなく、上も下もないとしても、僕は一番幸せは絵描きだと、僕を支える環境を誇りに思いました。


その後、別の場所の壁に全員で絵を描き、その後サッカー、野草で笛を作って遊んでいるとピアニカの演奏を自慢する子供が来たとおもえば、ソプラノリコーダーのユニットに早代わり。
皆がTシャツを汚さないように慎重に扱ってくれているのとは裏腹に、僕のTシャツは泥でまみれていました。



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日も傾き始めると、日本語の勉強が始まります。


日本語教師の佐々木愛さんは一寸法師の朗読を教えます。
そのレベルの高さに驚いていると、子供たちの俳句が始まります。

季語を取り入れた内容に、より一層驚いてしまいます。


気がつくと、授業ではないところでは、大きな子が小さな子に英語を教えています。

スナーダイクマエ孤児院の子供たちは、成長とともに3ヶ国語が話せるようになります。

そして、中学・高校生ともなれば小さな子に勉強を教えることも学びます。
点数では図りきれない多くを学んでいくのでしょう。

一つの孤児院という組織、団体で、この日々を築き上げ続けている、博子さん、愛さん、ソカーさん、バナラーさんをはじめとする方々。


先輩であり、いつも旅のアドバイスをしてくれる candle june さんの言葉がよぎります。

「僕らの訪ねるさきは、家族なんだ。

絶対に土足で彼らの家に入ってはいけない。
彼らには、日々の家庭の生活の合間に、僕らのような旅人に接してくれる。

ただ思いつく当たり前のことに気をつけたほうがいい。」



孤児院では、それぞれ責任があり、少年少女であり、母であり、父であり、先生でもあり、

そして時には誰もがキラキラとした目をもつ子供です。

ここには、ここの家族としてのあり方があります。


カンボジアに来て、僕はこの家族へ「絵」を渡し、残せたことを誇りに思うようになりました。



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スナーダイクマエ孤児院への、この旅での2つのテーマがありました。
一つはTシャツをはじめとした物資の提供と壁画制作。

それが終わったいま、もう一つのテーマ、「自立」にむけ明日からまた、博子さんとシェムリアップの街を駆け回ります。
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photo by NATURAL BICYCLE 08

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