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兵庫県 淡路島 9/9  


地形の都合で棚田が続きます。

景色の一部となって溶け込み、この島にあるモノや、この島に住む人を連想させるように伸びやかに感じます。
田んぼは一段一段が同じ間隔で階段状に規則正しくあがっています。

遠くにキョロキョロとみるとゲームの世界に入り込んだよう思えてきます。
空があり、山とそのふもとの田んぼ。
道路沿いにある建物は瓦屋根に趣のある作りです。
その合間にいくつかの商店、神社やお寺。
そして背中に小さな港。

ゲームの街を体験しているように、一つの集落にきゅっと詰め込まれた可愛らしさを感じ、無性に楽しくなります。

北海道の北竜町で田植えの時期だったのが、みごとに金色です。
実った稲は、ついにここで収穫の時期を迎えています。
まだまだ収穫もまばらですが、触れあった農家の方々が様々なことを教えてくれたこともあり、稲に対する思い入れが深い感動を与えてくれます。

幸運にも、漁師の方にお世話になります。
幼少期を海沿いで暮らしていたこともあってか、海に対しての感動が薄いです。
毎年、北海道の短い夏を楽しもうと海に誘われても、友人達の楽しそうにしている姿と同じように楽しめませんでした。
漁師さんが教えてくれた自称プライベートビーチも、せっかくだからといった感じで足を運びました。

そこは、赤灯台のふもとにあるテトラポットのいたずらでできた50メートルくらいの、ビーチというにはかなり小さなところでした。
自分にとっての海を思い出します。

水中メガネの空気を抜き、足ビレをつけ、シュノーケルをくわえ片手にマイナスドライバー。
もう15年以上昔のことですが、自分にとっての海はビーチでもなく、テントでもなく、火は捕ったウニやアワビをその場で食べるためにおこします。

その場で食べたら密漁にはならないと、曖昧な記憶はかすかにありますが、当時は泳いではいけない場所での、みつかると怒られる子供達のイタズラな遊びでした。
とにかくみつかると、こっぴどく怒られます。
もしかしたら、それが面白かったのかも知れません。

潜っても、せいぜい4、5メートル。
しかし、それでも手際よく捕らなければあがるまであっという間に苦しくなります。

耳鳴りを感じながら海面の光めがけ、だるくなっていく身体を目一杯使ってあがります。
薄暗い海の底から海面に上がった時の、たとえようのない世界の広がりは、子供にとっては数メートルで十分なのかも知れません。

「ドンキュー」という、なぜこの名前がついたかはわかりませんが、テトラポットから足を踏み外し落ちることを地元の同世代の間で共通で使われる名前でした。

濡れた足と、海草は、注意していてもよくすべり、肌とコンクリートのかたまりのテトラポットは、少しぶつかるだけでケガをします。
そして、浜での流血はなかなか止まりません。

打ち所が悪く、内臓破裂した子供もいます。
いま思うと、防波堤の外側で起きる渦巻きの中で潜ることや、ドンキューを大人たちは怒っていたのかも知れません。

当時は、
「海にいかない?」
ではなく、
「赤灯台にする?白にする?」
「クラゲが出たよ」
「昨日ドンキューしちゃった」
海水浴、キャンプファイヤーやテント、アイスボックスからだしたバーベキュー。

嫌いではありませんが、いつも物足りなさを感じていたのは、今目の前にある、自称プライベートビーチのような灯台まで続く防波堤と、テトラポットの狭間にある宝さがしが自分にとっての海だからなのかも知れません。

中学校に通うようになると、いつのまにか宝探しはしなくなりました。

ズボンをめくり、そんなことを思い巡らせて、テトラポットに近づきます。
1メートルくらいに近づいたとたんに、コンクリートと海面の隙間から、日光から避けて隠れていたフナムシが2、30匹うじゃうじゃと動きます。
気にせず手をかけ、あの頃よりはるかに注意深くたしかめるようにテトラポットを登り、てっぺんで腰をかけます。

思いだす幼なじみの顔は真っ黒に焼けていて、アワビを焼くこげた醤油の匂いがしたような気がしました。

田舎というもの。

小学校、中学校とプールがなく、とにかく潜ることで育ててくれた海は、いまだに足ビレがなければまっすぐには泳げない、というプレゼントもくれました。

あの頃の、一つ一つの世界が、間違いなく今の自分をゆっくりと形造っています。
そして同じように、この旅でくぐる世界も、自分をゆっくりと形造ってくれるのだなと、初めて過ごす長い夏に思います。
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photo by NATURAL BICYCLE 08

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