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新潟県 新潟港  
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2007年 7月16日 10時13分23秒

新潟県中越沖地震が起きました。

その数日後、僕はこの土地を訪ねることになりました。(日本徒歩縦断中)


道中にあるアスファルトは脈絡無くヒビ割れ、その上にブルーシートが敷かれています。
普段黒い道路が青くなっていました。

刈羽原発の安全性も確認されていないまま目の前を通り、実体のない不安を抱きながら「バウさん」という、大先輩からの薦めで、一人の男性を訪ねました。


加藤寛明 氏

当時、崩壊した建築物の復旧と同時に、水道・ガス・電気のライフラインがことごとく閉ざされたなか、携帯ガスコンロを被災者に数人の友人と協力して渡していました。

友人の一人が、

「このコンロを発注するときに、10万と100万のゼロの数を間違えてしまって・・・、気がついたら90万の借金をしてしまったのさ」

と、笑って教えてくれました。

その笑顔と裏腹に、世帯数に満たない数の支援物資は、円滑に供給されることがなく、自ら情報を発信し一つ一つ手で配り、複数の世帯で共有することをお願いしてまわります。
その行為を、独断ととる意見もあり、実際に彼らが向合わなければならなかったのは、目の前の変わり果てた現実や景色ではなく、インターネットを通じた、会うことのできない人達の無責任な風評だったのかもしれません。


代表の加藤氏からは、一度も、今も当時の非難のことは聞きません。
それをかばうかのように親しき友人達が静かに語ってくれます。



8月になり、柏崎小学校での支援活動に目途をつけ、自分の旅に戻る道中、新潟と富山の県境付近にあるラーメン屋でのことです。

偶然会った男性から、
「おー! ガスコンロの若いのと知り合いなのか!

この際電気なんて無くたっていいんだ。

水は井戸水があるだろ? 

ガスはどう転がっても手に入らないからな、本当に助かった。
こんな状況になれば、インスタントコーヒー、インスタントラーメンの一杯で一日分の元気がでるもんさ!

おれは3つ無理言ってもらって、近所の家3世帯で一つづつ使うように配ったんだ。
実際取りに来たくても、それどころじゃない人だらけだからな。

たぶん皆よろこんでたと思うぞ!」


まるで自分の子供を自慢するかのように、がっしりとした日に焼けた男性は言います。
そして同じように、自分は配っていないはずのガスコンロが、彼らの活動が、誇りに思える瞬間でした。





ちょうど一年ぶりに、八ヶ岳でのライプペイントの仕事が入り、数日間の余裕をもち新潟港につきました。

フェリーのなか、加藤氏に連絡しました。


熱い想いを見せない、静かな物腰や、まっすぐな目・・・
始めて会ったそのときに、僕は彼が生涯を通じて友人になる、漠然とした予感がありました。
彼も同じように思ってくれていたと聞いたのは一年後のことでした。



なんのアポイントもなく、突然のフェリーからの電話。

僕は
「加藤君、いまどこに住んでいるの?」

彼は
「そっちはおとなしく北海道にいるのかい?」
「こちらはたった今、柏崎に引越しが終わったところで、今日から新居なんだ・・・
 ?  ・・・3時間後に新潟!?」

携帯電話越しに互いに声を弾ませ、すぐに落ち合うことにして、今日までの一年という時間、北海道・新潟という距離を重ねて溶かしていくもう一つの旅が始まりました。
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